お侍様 小劇場

    “寒睦夜” (お侍 番外編 79)
 


この数日ほどは、いかにも冬らしい底冷えが戻って来ていたので。
家人らが湯冷めや薄着から風邪を引かぬようにと、
それをばかり念頭に置いていた七郎次であり。
久蔵も勘兵衛も、基本よくよく体を動かすお人ばかりではあれ、
何につけ油断は禁物と。
風呂から上がれば髪を乾かすお手伝いにいそしみ、
指先が温かいうちに早めに寝なさいと、
甘えん坊な次男坊を寝かしつけての さてそれから。
今宵も残業だとの知らせがあった御主が、
それでも日付の変わらぬうちに帰宅して、
今はゆっくりと湯殿で手足を伸ばしておいで。
その間にと寝室を整え、
寝酒をと望まれれば出せるよう、ラムや吟醸酒を確かめておれば。

 「七郎次、今宵はもう休む。」
 「あ、はい。」

タオルを肩に、寝室へそのまま向かわれたので、
ありゃりゃと支度は中断。
キッチンの照明を落とすと、
勘兵衛の後ろ姿を見送りながら、浴室へと向かうことにする。
湯を浴び、平穏な一日が幕を下ろすまでの、
いつもと同じ、更夜の訪のい。
二階には眠っているとはいえ久蔵もいたんだのに、
妙に気持ちが冴えて、眠るなんて出来なかったのが嘘のよう。
しんと静かなのはさっきまでと同じなはずだのに、
妙に空気がしっとり落ち着いていて暖かい。
やわらかな明かりにくるまれて、
束ねていた髪をほどくと、
湯殿の手前、脱衣場へのスイングドアを押し開けた七郎次だ。




     ◇◇◇



勘兵衛が商社勤務の方で取り掛かっている仕事が、
どんな種のそれでどんな段階にあるのかなんて一つも知らない。
差し出がましい干渉や手出しはそもそも好かないし、
御主が手掛けるもの全て、
自分なんぞが把握しようだなんて滸がましいから。
ただ、十分なコンディションでいていただくためには、
どんな尽力も惜しまないつもりだし。
昔はどうあれ今は、
島田の一族よりも勘兵衛をこそ優先し、
その上で大切にしたいとも思っている。

 「…勘兵衛様?」

もうお休みかと思ったが、
そろりと押し開けた寝室のドアの向こうには、
脇卓の上に置いた、ランプ型の明かりが灯されていて。
寝台の向こう、窓辺との間に据えた肘掛け椅子に腰掛けた勘兵衛が、
ペーパーバックだろうか、文庫本サイズの冊子を読んでいた。
パジャマの上へ厚手のガウンを羽織ってこそいたが、
寝台に上がって布団に入ってだって出来ようことだろにと、
怪訝そうに小首を傾げたその所作に合わせて、
まだほのかに湿り気の残る金絲が、七郎次の白い首元へとさらり流れて。

 「…上がったか。」

そんな七郎次がドアを開けた気配から、
僅かほど間をおいて顔を上げた壮年殿だったのは、
キリのいいところまでと眸を通していたからか。
そうまで無心に行間を浚っていたにしては、
ぱたりと片手で本を閉じた手ぶりがいかにも軽快で。
さては、本の内容とは別なことに気を取られていたらしかったが、
立ち上がった勘兵衛がこちらを見やると、
そんな瑣事なぞ、もはやどうでもよくなる。

 「……。」

味な眼差しを向けられたわけでもない、
ほのめかすような笑い方をされた訳でもない。
強いて言や、その彫の深い面差しの中、
凛々しき目許を少しほど、
目映いものでも見るように細めただけの勘兵衛だのに。
ただそれだけで、あと少しあった間合いを詰めるよに、
彼からの無言の“おいで”へと応じている七郎次であり。
急くでない歩みで傍へ寄る彼を、さも当然という呼吸にて懐ろへと迎え入れ。
するりと回した双腕で嫋やかな身躯を手際よく抱き込むと、
そうまで近寄ったがために身長差が際立ってのこと、
こちらを見上げて来た七郎次だったの、
何の衒いもなくの自然な流れで見下ろしたそのまま、

  さあ目を閉じなさいなと

ゆるりとまぶたを伏せかかれば、
それへ釣られて素直に眸を伏せた愛しい人の。
やさしい緋色の口元へ、
誘われるように唇を合わせる。
互いの温みを分け合うような、触れさせるだけの口づけでは、
すぐにも物足らなくなってしまい。
柔らかな感触に酔い、深く食むよにむさぼれば、

 「…っ。」

七郎次もまた、同じ酔いに足元を掬われたものか、
その場へと膝から頽れ落ちかかるので。
支えるようにと抱きかかえた勘兵衛の鼻先へ、
湯にも流されなかったか、
彼の髪から常に立つ、甘い香りが仄かに届いた。
華奢な女人ではないけれど、
それでも…力まかせにきつく抱くのは、
無理強いに通じるような気がして憚られていたのだが。
その身が落ちかかったのが、
この腕からこぼれ落ちてゆくよな錯覚でも招いたか。
背中へ回していた手を強く押しつけ、
まるでそのまま我が身へ取り込みたいように、
その身をこちらへ押しつけて、強く強く抱きすくめてる。
慣れない微熱に浮足立ってる、
年端もゆかない若造のようだとの苦笑を噛みしめ。
そうなってしまう、無策に追い込まれる元凶の君へ、

 「…シチ。」

短く呼べば、それが意味するものへとの意が通じたからだろう、

 「…っ。」

その身が一瞬、かすかに震えたけれど。
彼の側からも手が延べられ、こちらの背へと回されて、
頬を擦り寄せる所作が何とも愛おしい。
暖色の明かりが灯る中、
腕の中へと見下ろした、色白な細おもての額や頬へ、
そおと触れるだけの口づけを落として。
すぐ傍らの寝台へ、腰掛けさせたそのまま、
片側の肩へと手を添えて、ここへ倒れておいでと誘(いざな)えば。
目許をたわめ、ふふと小さく微笑った彼が、素直にそれへと釣られてくれて。
それだけ物慣れて来たものか。いやいやそれなら、

 「…っ。//////////」

そんな彼へとのしかかりがてら、
耳元へと口許寄せた途端、ひくりと身が撥ねるなんてことはないはずで。
まだまだ初心な恋女房、怯えさせることのないように。
そうそう、顔を見られるのは恥ずかしいと言う彼なので、
ちょっと惜しいが のちの楽しみにと今は我慢し、
脇卓の明かりへと腕伸ばし、ふっと静かに灯火を落とした。



    ***



 「…っ。//////////」

力加減をされつつも、のしかかる重みが心地いい。
充実した筋骨の堅さと、
ちょっとした身動きにうねる、肉置き(ししおき)の躍動と。
精悍な匂い、馴染みのいい温み。
大きな手が髪に触れ、そおと梳きつつ、枕へと流してくれていて。
それへ気を取られておれば、
こちらの肩口へ別な髪の感触が降りてくる。
ああ、勘兵衛の髪だ。
温みが増して、吐息が聞こえ、
こちらの首元へと、唇這わせる熱が触れる。
ちりと痛んだのは、軽く吸われたせいだろう。
そこから広がる微熱があって。
胸の底がきゅうと絞られたように詰まり、
それが呼吸と共にほどけると。
今度は指先やつま先へまで、しびれるような熱が広がる。
少しずつ息が荒くなるのへと、
もっとおいで、こちらへおいでと、誘いをかけるよに、
肌のやわらかいところへ、熱い口づけが散りばめられてゆく。

 「……。///////」

愛しい愛しいと、熱が吐息が囁いてくれているのが判るのに。
肩を背を抱く雄々しい腕が、自分を組み伏せる充実した上背が、
どれほどのこと、この自分を求めているのかを伝えて来。
それへとくらくら酔わされて、
抗えないまま いっそ流されたい、
そんな淫らな自分が目覚めかけてる。


  …… なのに


 「…、シチ?」

首を引いて、頬を探して。
もがくような身じろぎは、勘兵衛にもすぐさま伝わり、
如何したかと身を起こしたのへ、手を延べて。
見下ろしてくるお顔のその頬を、両手で包むように触れる七郎次であり。

 「…おかしなものですね。」
 「んん?」
 「自分は見られるのが恥ずかしいのに、
  お顔が見たくてしようがない。」

でも、それでは…あのその。
触れてはもらえぬ、食んではもらえぬのもまた歯痒い。
どこもここも離れぬようにと、
息が詰まるほど ぎゅうと抱いてもらえぬのも詰まらない、と。
きれいな指がこちらの頬やおとがいを撫でるのへ。
ほのかに輪郭の浮かぶ白いお顔が、うっとりと見上げてくるのへ。
何を言い出すものやらと、壮年殿もまた、その口許をほころばせ、

 「むさ苦しいばかりの御面相をか?」
 「何を仰せか。このような男ぶり、そうはありませぬ。」

しようのない奴と笑われますか?と訊く声へ。
そうさな、
興を冷ますよな奴は、一体どこから食うてやろうかと、
ほのかに笑みを滲ませたお声が返り。
ふふふ、くつくつ、小さく微笑う気配がそのうち、
甘くも濡れた睦声へと変わってのそれから。


  あとは誰にも聞かせはしないよ
  蒼月が夜の底へと塗り潰してしまうから……




   〜Fine〜  10.01.23.


  *何のこっちゃないちゃいちゃ話ですな。
   すぐ前のお話がちと切ない系だったので、
   甘いお話を書いときたくなりました。
   どっちにしたって覗きはご法度だったようですvv
   夜長に寝ぼけて書いたたわごとですので、
   どか、大目に見て下さいませ。

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